野口 誠一のコラム「経営者の失敗から学ぶ「人生論」」
野口 誠一(のぐち せいいち)
八起会会長
1956年、25歳で玩具メーカーを設立し、年商10億円までに急成長させたが、1977年に倒産。翌年、自らの経験ももとに、「倒産者の会」設立を呼びかけ「八起会」を興し、倒産した経営者や会社が傾きかけている経営者をもう一度立ち直らせる活動を行う。
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Vol. 5 『成功の原動力(五)思いやり』
(2010年08月20日)
今回の「成功と失敗を分けるキーワード」は、「思いやり」である。だいぶ以前のことだが、ある聖職者から聞いた法話が今も心に残っている。まずはそれを紹介しよう。
――ある日、若者が死んだ。彼の行き先は生前の行いから「天国」と決まっていた。ところが道に迷って「地獄」へ踏み込んでしまった。と、地獄では時あたかも食事の真っ最中である。その食卓を見て、あまりの豪華さに若者は度肝を抜かれた。
しかし不思議なことに、地獄の住人たちはそんな栄養満点の食事をしていながら、なぜか一様にやせ細っている。が、やがてその謎は解けた。彼らは長い大きなスプーンで食事をするのだが、それがあまりにも長いため、そんなに腕を折り曲げても料理が口に届かない。食べたくても食べられない。無理に食べようとすると、料理がみんなこぼれてしまう。
餓鬼の正体を見た若者は天国へ取って返した。と、驚いたことに、天国でも食事の真っ最中である。しかも料理といい長いスプーンといい、地獄のそれと寸分違わない。たったひとつの違いは、天国の住人たちがまるまると肥っていることである。同じものを食べながら、どうしてこうも違うのか。
この疑問もやがて氷解した。天国では長いスプーンに盛った料理を、自分の口にではなく、互いに相手の口に運び合っていたのである――
さて、読者のみなさんはこの話をどう思われるだろうか。地獄の住人たちは「自分が食べること」しか念頭にない。これを利己心という。が、天国の住人たちには「利他の精神」がある。思いやりとはこの利他の精神のことと言っていい。
情は人の為ならず、ということわざがある。本来は「他人を思いやって、その人のためになることをしてあげれば、それはめぐりめぐっていつか自分にも良い報いとなって返ってくる。だから、情をかけることは他人のためではなく、自分のためなのである」という意味なのだが、いまは「情をかけて甘やかしてはその人のためにならない」と、まるであべこべに解され、つかわれている。
利他の精神が希薄な時代なのだろうか、企業不祥事は後を絶たないし、殺伐たる事件も後を絶たない。「商いとは先も立ち、我も立つものなり」とは、江戸時代中期に商人道を説いた心学の祖・石田梅岩の言葉である。