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――全日本の監督を以前なさっていた時、加藤陽一選手ですとか、中垣内祐一選手ですとか、そういった一流の選手達をいろいろなチームから集めて、非常によくまとめていらしたという印象があるんですが、監督経験を通しまして、あらゆる個性が集まった一つの組織をまとめる上で、気をつけていた点はなんですか?
そうですね、例えば企業やある組織で仕事をする上で、目標設定はとても重要なことだと思います。私の場合は、その目標設定が単純かつ明快で、当時はシドニーオリンピックに出場するというのが、最大の目的でした。結果的にはその夢は叶いませんでしたが、最低でも出場しなければならない、という目的のために選ばれた選手であり、集まってくる選手達は、必ずオリンピックに出るという目的意識を確実に持ってました。幸い、非常にモチベーションの高い選手達が集まっていたというのは大きかった、と思います。
そして、気をつけていた点と言えば、やはり私が指導する際に、「自分の指導スタイルというものを、選手と話合って理解してもらうこと。」ですね。
必ず一つのチームには、監督がいて、コーチがいます。私が監督としてどのようにチームをまとめるか、という責任がありますから、一つの目標に向かってやる上で、やはりこっちが思うバレーを理解してもらわなければならないわけですね。そういう意味でも、自分が理想としているバレーを追及していく上で、選手とのディスカッションは必須になってきます。ですから、理解してもらうことにおいてはしっかりと時間を費やしたつもりでいます。
――コミュニケーションがまず大事だということですね。
そういうことになります。なぜこのようなディフェンスの体制をとるのか?技術的に言えば、こうなる、最終的にはこうなっていくんじゃないかな、というのをまず理解してもらう。今もしできないとしても、最終的にはこのようになって行かなければならないということを言っておく。そして精神的な問題で言えば、「必ず自分達はオリンピックに出場するんだ。」という気持ちを植え付けることが、私の仕事であったし、そのことに関しては間違ってなかった、と今も思います。
――全日本の監督になった時は、随分と若い監督だと、話題になりましたね。
実は、私がなるとは思っていなかったんですよ。話が来た時には、何かの間違いじゃないかな?って思ったんですよね。最初に感じたのは、引き受ける、引き受けないではなくて、客観的にこれは大変だな、というのがすごく強く頭にあって。その次には今じゃないと自分にはこの話は来ないんじゃないかな?っという風に思ったんですよね。
自分がNECの監督として指導をしてきて、何回も優勝した中で、ちょうどチャンピオンを維持していく、という大きな目標がありました。そんな中でも、常に自分はもっと上のレベルでやりたい、という気持ちが非常に強かったものですから、最終的には、大変というよりはすごくありがたい、という風に思いました。
それに、基本的にチームを強くするということはNECにしてもナショナルチームにしても同じなんですが、そのチームによってプレースタイルが変わってきます。その意思統一をしっかりしなければならない、ということは注意しましたね。
プライドが高い選手はもちろん何人もいますし、その中で僕はナショナルチームの経験はありませんので、中垣内選手や真鍋選手のような、非常に実績のある選手を指導していく上で、彼らに負けない技術論であるとか、確固たるものがないと監督は務まらなかったと思います。
ただナショナルチームを教える上での初期の問題としては、いろいろなチームから選手が集まって来てますから、自分のところの選手に対しては強く言えることも、他のチームの選手にはなかなか言えなかったことなんかもありました。まあ、だんだん自分のチームになっていくに従って、そういう難しさからは開放されましたけれど。
また、初めてナショナルチームの監督をやって、日本の国ということに対してすごく意識を持ちました。国旗に関しては、非常に重いと感じました。
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