−「なかったから、しなかった。」当時の心境はそうですか。
裸足というのも、今はなかなか出来ない世の中ですよね。
一部の学校でそういう事を精力的に取り組んでいるという話も聞きますが。 |
そう。子供自身が体験して、裸足は痛いから嫌だ、なんて考えることもない時代なんですよ。今はわざわざそうしようとは思わないかもしれないけど、何事もする前に親が危ないからだめって、やめさせてしまいますからね。
でも昔が良かった、とただそう思うわけではありません。不便な社会は安心もなければ、保障も保証もない。だから当時は亡くなる方も多かったんです。そんな中でもし生き残れたら、「たくましい」という称号をもらったようなもので、日々の生活で作られた免疫がプロの選手生活の中で役立ったと、今は思います。ですから、良い事も悪い事もあったんです。
ここで私が重要だと思う事は、私達が子供だった時、貧乏で親が忙しくて、子供にかまう暇がなかったということです。だから、山菜を取りに行くのも子供達だけで行った。ガキ大将なんていうのもいて、子供の社会があって、自分達で考えて動かなければダメな環境がそこにあったという事です。
教育の極意は、接近しすぎないで、ちょっと距離を取る、それに尽きると私は思います。それがなかなかしづらい時代ではないでしょうか。
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−距離を取る、それはとても重要で、また難しいところですね。
子供達自身で考えさせる事としてセルジオさん自身の子育てでやっていた事などはありますか? |
「子供のケンカは子供同士で解決させること。」だね。
よく子供がテレビのチャンネル争いでケンカをして、私にどっちがこう、とかどっちが正しいとか、いろいろ言ってくるんですが、そんな時はテレビを消してしまいます。そこで私は言うんです。「お父さんが悪かった。こんな悪い物を買わなければ、お前達はケンカをしないのに」ってね。そうすると子供達はしばらくは黙って我慢をしているんですが、自分の見たい番組が見られなくてうずうずしてきます。そこで、「チャンネルが決まったら見てもいい」と言うんです。そうすると結局は兄弟同士で話し合って、見る番組決めてくるんです。半分づつにしよう、とかいう打開策を見つけたりしてね。大人が間に入って、どっちが悪いなんて決めているのは一番良くない。自然に子供自身で考え、動く。そういった状況を日々の生活で作ってあげること、手助けしてあげること、それは今でも十分に出来るのではないでしょうか。環境適応能力なんかは、そういう所から学んでいくんだと思います。
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−自立したたくましい人間に育てるためには、親が手を出し過ぎないということですか。
とても参考になります。
最後に、セルジオさんの解説はいつもジョークが混ざっていて面白いですが、
教育を考える上で、スポーツとの面白い関わり方はありますか? |
スポーツの良いところは、みんなで共通の話題で楽しめること。教育の場では運動会。一生懸命スポーツに取り組むことで、体力をつけたり、精神を養ったりと、いい事がたくさんあります。テレビでやっているサッカーの試合でも、あのプレーが良かった、とかあの選手の動きが良かった、悪かったなんて、自分がプレーをしていなくても、一緒に盛り上がれる。スポーツは年齢差を越えて楽しめますから、ワールドカップを観戦するのも、家族揃って見たりすれば、良いコミュニケ−ションにもなります。
こんなものも面白いかと思うのですが、ワールドカップを観戦するのに、サッカー場に行けなくても、近所の仲の良い人たち同士で楽しむという方法もあります。ブラジル戦はセルジオさんのお宅で、イタリア戦は西山さんのお宅で、なんて言いながらたくさんの料理を用意してパーティーのように、招待し合うのです。それぞれの料理を対戦国に合わせたりするのも、旅をしているようで面白いですよね。そうやって家族や地域の触れ合いを増やしたりも出来るんではないでしょうか。
要するに、教育も、日々の生活も、少しひねるだけで面白くなる、ということ。
頭を固くして考えるんではなくて、ちょっと柔軟に工夫すること。それを日本の皆さんには伝えたいですね。
ブラジルのことわざで「リズムに合わせておどりを変えなさい」というものがあります。音楽が変っているのに同じ踊りを続けていたら、合わないでしょ。味噌汁も具を変えれば、毎日食べられる。
それをヒントに、少しづつ変化をつけて行ったら、違う取り組み方が出来るんではないでしょうか。ユニークだって言われている秘訣を教えるとしたら、そんなところだと思います。
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−素晴らしいお話をありがとうございました。
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