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――先生の講演のテーマである「君の頭に発想の泉を掘り起こせ」について、詳しく教えてください。 |
英国の詩人W・ブレイクが著した"地獄の格言"という詩集の中の一節に以下のものがあります。 "A cistern contains, a fountain overflows" これには「水槽は湛え、泉は湧き出す」という名訳がありますが、私は、こう解釈しています。子供の頭を水槽に見立てて、知識という水をパッパカ注入しても、時の経過とともにほとんど忘れてしまう。そんなつまらない知識を無理やり詰め込むよりも、子供たちの頭に発想が次々と湧き出すような泉を掘り起こすほうがずっと重要だと考えますね。
残念ながら、戦後60年間の日本の教育は、ずっと「水槽に注水方式」でした。たくさん教えて、問題を解かせ、暗記させて、問題の解法パターンや知識を多く知ってる人が優秀という教育システム。でも今の時代、百科事典のように知識を詰め込むことに何の意味がありますか? 漢字も年号も、全部インターネットでもケータイでもすぐに調べられます。そんな“頭の良さ”は、実社会に出て役に立ちません。たとえば、会社でいろいろとレポートをまとめても、斬新さがない、人と違わない、すごいと感じられない企画書を量産するだけです。
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――確かに、試験のために覚えさせられた知識よりも、自分が興味を持って自主的に調べたことのほうが、頭の中に残っているものですよね。 |

| 学生時代に挫折したアコーディオンを55歳から再開。練習はほとんど毎日欠かさず、ライブで披露するほどの腕前。 |
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コンコンと湧き出る泉は枯れません。ダム一杯の知識を持っている人よりも、小さな発想の泉を持ってる人のほうが素晴らしい。「knowledge(知識)のダム」より、「wisdom(知恵)」のほうがずっと上です。知恵は応用できて、汎用性がある。もちろん知識もあったほうがいいけど、それよりも多角的な視点や考え方をもって、本質を抽出し、失敗の原因をつまびらかにすることで、次善の策を講じることのほうが大切。そのためには、人が気づかない本物の不思議を知覚する能力が必要ですね。どうしてこうなるのか不思議だとか、これはどうしてだろうと気づく能力。歴史上、科学や技術を進歩させる原動力になったのは、問題を解く力より、発見する能力なんです。
たとえば、いま騒がれているテレビのデジタル放送とアナログ放送の違いを理路整然と説明できますか? わからなくても多くの人は「テレビなんだから映る」で済ませてしまう(笑)。不思議に鈍感になってしまい、それが当たり前になるんです。もし子供みたいに好奇心をもって万物を見られないと思っているなら、そんなことはないと私が断言します。挑戦をやめる人は進歩がありません。進歩が止まった人が老人です。詩人・サミュエル・ウルマンの詩に「青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ」という一節があります。夢を持って、希望を持って挑戦している間は人間はいつまでも若い。逆に、17歳でも“老人”はいるし、何歳になっても青春真っ只中の人はいますよ。私のようにね(笑)。
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| ――最後になりますが、秋山先生が講演で伝えたいメッセージを聞かせてください。 |
私は、いつも人をビックリさせて、喜ばせたいと考えている人間です。だから、講演でも数学的真実に裏打ちされたパフォーマンスで“驚き”を体験してもらいます。たとえば、三角形や四角形の穴の空く回転ドリルで実演したり、参加していただいた方々と一緒に教具を使って作ったり、考えたりします。そして、新しい発想がどうしたら生まれてくるかをお話します。どんな職業の方にも共通して大切ですからね。発想の転換で不可能を可能にしたり、無から有を作り出す、なんてこともできるようになります。自分の発想力を鍛えれば、日常の生活の中でいろんな新しいことが発見できて、楽しいですよ。
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―本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきましてありがとうございました。
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文:佐野裕 /写真:上原深音
(2008年8月27日 株式会社ペルソン 無断転載禁止) |
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