今泉 清保(いまいずみ せいほ)
フリーアナウンサー/フリーライター
1968年、青森市生まれ。大学卒業と同時に、「やらなかったことを後悔するのが嫌だ」という思いから、福岡放送にアナウンサーとして入社報道記者としてドキュメンタリー番組の制作にも携わる。現在は、フリーとして、 「レディス4」(テレビ東京)の司会など、各局の様々な番組で活躍中。
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今泉 清保講師詳細プロフィール】
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Vol. 1 『医療に助けられてきた私』
(2010年04月15日)
はじめまして。フリーアナウンサーの今泉清保です。現在はテレビ東京「レディス4」の司会を担当しています。番組では主に、料理や旅など生活情報についてご紹介しています。
そんな私がなぜ、医療について考えるようになったのか。
生まれてから今に至るまで、私はたびたび医療のお世話になってきました。医療無しでは私の人生は無かった、今ここにこうして生きていなかったと断言できます。ただ、私はただの一患者だったので、助かったことに感謝はしつつも、そういうものだとなんとなく思っていました。でも、アナウンサーになって、医療の現場を患者とは違う視点で取材してみて、私がここにこうして生きていられるのは、とてもラッキーなことだったと思い知りました。
仕事で、あるいは個人的に医療の現場に接して、今本当に、医療の現場が壊れてきているのだと感じています。ここ数年、たくさんの医療者の方が声をあげるようになって、やっとこの問題が一般の人にも届き始めたところです。でも、まだまだ足りないと思って、機会があればお話しています。
もともとは自分の病院体験談などを話していたのですが、結局どうしても医療現場の話になってしまいます。とはいえ、医療者でもない自分が、医療現場のことを話してもいいのだろうか、という葛藤もありました。そんな時、講演で訪れたある病院の院長が「私たちが自ら大変だと言うのは、怠慢だと取られかねないので難しいんです。今泉さんのような別の立場の方が冷静に話してくれた方がいいんです」と言ってくれました。それで、医療の話をさせていただいています。
私がなぜ、医療の現場に関心を持ち調べ始めたのか。それには私のこれまでの人生や病歴が関わってきます。本題に入る前に、簡単にお伝えすることにします。
先に書きましたが、医療にお世話になることの多い人生でした。最初は生後2日目。私の体が黄色いことに母が気付き、血液検査の結果「血液型不適合」という状態だというのがわかりました。どういう状態かは割愛しますが、私は生まれた途端、3人の男性から血液をいただいて全身血液交換をしたそうです(献血の制度が始まったばかりで、まだ確立されていなかったのです)
2歳のときには睾丸にがんが見つかりました。当時は使える抗がん剤がなかったので、摘出手術と放射線治療を受けました。もちろんまったく覚えていませんが、放射線治療を受けて帰ってくるたびに、白目を剥いて口から泡を吹き、最後には背中の皮がべろんと剥がれたそうです。他にも、ポットのお湯が両足にかかって大やけどをしたり。母子家庭でしたから、母親には本当に苦労をかけたと思います。
その後はなんとか普通に育ち、地元の高校を出たあとは、国立国会図書館に勤め、夜に大学に通う生活を選びました。高校まで出してもらったので、大学の学費は自分で稼ごうと思ったんですね。そして大学4年のとき、記念に就職活動がしてみたいというだけの理由でテレビ局の試験を受け始めたところ、本当に福岡のテレビ局のアナウンサー試験に受かってしまい、思いがけず私のアナウンサーとしての人生が始まりました。
入社6年目の初夏。忙しく働いていた私は、体の不調を覚えて近所のクリニックに行きました。検査の結果、内科系の病気とともに、腹部に大きな腫瘍があるのが見つかり、緊急入院することになりました。結局3か月ほど入院することになったのですが、その間つぶさに医療の現場を観察したことで、どう考えても人が足りない、ということに気がつきました。いまから14年ほど前のことです。今思えば、当時から医療崩壊の兆候はあったわけです。