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Vol.39 「コーチングにできること〜あるミスをした運転士との会話」
4月のある晴れた月曜日。朝9時。
東京鉄道の首都環状線乗務の左藤運転士は、憂鬱な思いで指定された会議室のドアをノックした。
「こっぴどくやられるに違いない・・・」
彼は先月、新宿駅で朝のラッシュ時、10mオーバーランをしてしまい、その件で呼ばれたのだ。彼が呼び出しを受けるのは3回目だった。
東京鉄道では、勤務評定の悪い者や罰則者に対しては、厳しい懲罰教育が待っている。乗務から外され、3,4人の上司にかこまれ「なぜミスをしたんだ」と罵声を浴びせられる。そして数週間もの間、同僚らが詰めている詰め所でさらしもののように机に座らされ反省文を書かされたり、ホームに立たされ、入ってくる電車に向かって反省の弁を述べさせられたりするのだ。おまけに給与査定にも影響する。
佐藤は頭が重かった。だが、今回は、会社側が面接方式を改め、聞くところによると外部から新しいカウンセラーが来ているという。
「今度は何をされるのだろう」
不安を抱えたままドアを開けると、そこには60代くらいの白髪の老紳士が座っていた。
物腰の柔らかそうな雰囲気の紳士は、グレーのカーディガンをはおり、黒ぶちのメガネをはずしてティッシュでレンズを拭いていた。社内の人間とは少し雰囲気が違うようだった。
「まあかけたまえ」
「失礼します」
佐藤は緊張し、少し固くなっていた。すると老紳士がおもむろに口を開いた。
「今回から調査対象者の面接を担当することになった田中です。 私は以前、ほかの鉄道会社で運転士をしていてね」
「そうなんですか」
彼のおだやかなしゃべりかたが、少し佐藤を安心させた。
「どれ、佐藤君、今回の件だが・・・」
「申し訳ありません」
佐藤は責められると思い、とっさにあやまった。
「いや、まず分かって欲しいのは、このミーティングは、君のミスを叱るためじゃない。今後の君の成長のために何ができるかを考える時間なんだよ。いいかね?」
(その1【未来に視点を向ける】――冒した過失を責め立てるのでなく、今後何ができるかに意識を向ける)
「は、はあ」
これまでのミーティングとは、なにか様子が違うようだ。
「まず、今回の新宿での君のオーバーランの件だが・・・何がその引き金となったんだろうか?」
(その2【"なぜ"でなくて"何"】――「なぜ」は相手を攻める。「何」と聞くほうが問題を客観的に切り離せる)
「はい、前の駅で乗客の乗り降りが遅れ、少しでも早く着こうとスピードをつけすぎ、ブレーキをかけるタイミングが遅れてしまったのです」
左藤は、自分が責められているわけではないのを悟ると、安心して事実を語ることができた。
「そうか。ブレーキのタイミングだったんだね」
(その3【受け止める】――繰り返すことで相手の話をしっかり受け止める)
「僕も昔、新人の頃、何度か停車位置をいきすぎてしまったことがあってね。訓練をしていても、ちょっとした焦りでそうなることもあるからな」
こうして自らの失敗もオープンにしてくれる田中氏と向き合っているうち、左藤は自分を固く閉ざしていたよろいが、一枚ずつはがれ落ちていくのを感じていた。
「もっと落ち着いていればよかったのですが」
「うん。でもきっと君の力で、次回からそのミスを未然に防ぐことができると思うんだ。たとえば、どんな方法を思いつくだろうか・・・」
(その4【問いかける】――たとえ自分が答を知っていても、それをただ教えることはない。あくまで本人に考えさせる。答はすべて相手の中にある)
「そうですね。ブレーキをかけるポイントは、いつも頭には入っているのですが、ついあせると忘れてしまうので・・・。運転席の上に小さな紙でそれを張っておき、目で確認するようにするといいかもしれません」
「なるほど。それはいいアイデアだね。当たり前のようでも、目から入ってくる情報のほうが確かだからな」
「そうですね」
佐藤運転士は、この白髪の紳士に、何か信頼感を感じるようになっていた。彼はいままでの面接官とは何かが違った。これまではただ怒鳴られ、否定され、もう辞めてしまいたいとさえ思ったのに、この老人と話しているうちに、だんだん自信が沸いてきて、もう二度と失敗しないぞ、というやる気さえ起きてきた。
「佐藤君、そもそも、君はどうして運転士になったんだい?」
(その5【価値を引き出す】――彼にとっての価値を引き出すことで、前向きに取り組む姿勢や、やる気を引き出す)
「はい、小さいときから電車が好きでしたし。それに毎日、何万という人たちを運ぶ責任ある仕事についてみたかったんです」
「そうだね。君の言うとおり、とても意義のある仕事だと思うよ。お客様の命を預かる仕事だからね。私は君なら、その志を貫いていけると信じている」
(その6【ほめる】――ほめることで自信をつけさせる)
「だといいのですが・・・」
普段、あまりほめられたことのない佐藤運転士は、少し戸惑いを感じたが、悪い心地はしなかった。
「じゃあ、さきほどのブレーキのタイミングのチャートだが、できたら私にも見せてほしいんだ。私もどんなものができるか、興味があるからね。いつごろできるかね?」
(その7【フォローする】――言いっぱなしにせず、ここでフォローのくさびを打っておく。自分もかかわっていくというコミットメントをみせる)
「はい、三日くらいでつくれると思います」
「じゃ三日後、同じ時間に、この部屋で待っているよ。ではこれで」
そう言うと、彼はおもむろに席を立ち、佐藤運転士の肩にポンと手を置き、ニッコリと笑って部屋を出ていった。その手から、彼を信頼しているという思いが伝わってきた。
「よし、俺も頑張ればできるんだ」
このミーティングの後、佐藤運転士は周囲が驚くほど変わった。オーバーランすることもなくなり、勤務態度も優秀で、その年、東京鉄道で一、二を争う優秀な運転士になっていた。
佐藤は、最近よく考える。なぜ、あの老紳士と話していると、問題が整理され、やる気が出てくるんだろうと・・・。ふと手元にあった社内報を開くと、この春から導入された新しい面談制度の記事があり、そこに田中氏のプロフィールが載っていた。
「田中一郎。大阪鉄道で三〇年運転士を務めたベテラン。退職後、渡米し、コーチングスキルを学ぶ。現在はそのノウハウを活かし、大手企業で人事評価面接を請け負っている」
「コーチング・・・これなのか」
注)この物語はフィクションであり、実際の出来事、事実とは関係ありません。
人は決して、叱って懲罰を与えただけでは、根本からよくはなりません。
旧軍隊方式の懲罰や見せしめは、恐怖政治と何ら変わりがありません。
人に恐怖を与えても、それを受けた人は、「怒られないように」自分を守ろうとしてしまいます。自分を守ろうとする力は人間の本能ですから、それはときにモラルや規則、安全性をも飛び越えてしまうのです。
上のストーリーでは、7つのコーチングスキルを応用しています。私は、もし今回の事故より以前に、会社と運転士との間で、上のようなコミュニケーションがとられていたら、ひょっとしたらこんな事故にはならなかったかもしれないと思っています。コーチングにできることは、まだまだたくさんあるようです。
| 今月のメッセージ:二人の会話が変われば、組織は変わり始める |
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