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Vol.40 「こだわるべきか否か?」
先日テレビの経済ニュースを見ていたら、いま、ものの売れ方が変わってきているという。以前は、富士山型で、ゆっくりじわじわと売れ、売れなくなるのもゆっくりだったそうだが、最近は茶筒型といって、急に垂直に売れ始め、そして売れなくなるのも突然そうなる、というのだ。
■納得するかどうかより…
その理由は、一昔前の人(昭和40年生まれ頃を境に)は「自分が納得しないと」買わない、いわばこだわるタイプが多かったのが、最近は「売れていると思うと、自分で判断しないでそれに飛びつく」人が多い、ということだった。
「まあそんな人は少数で、ほとんどの人は自分でいいと思わないと買わないよ」と信じ込んでいた私は、これを聞き、かなりショックを受けた。なにしろ、そういった消費行動をとる人たちが、無視できないほどいる(いや、正確にはそちらのほうが多い)というのだから。
僕のパラダイムは見事に崩れ去った。もう自分で判断する人が正しくて、そうでない人が間違っているとは言えない。むしろ、僕のほうが「変わってる、時代遅れ」と言われかねない。
■こだわりのない人たち
たしかに最近「なんであんなモンが売れるの?」と理解できないものが多く目につくようになってきた。その理由がこれで明らかになった。要は、きっと皆、こだわっていないのだ、自分の価値観に。周りが持っている、売れていると「あ、自分も」とストレートに思うのだろう。自分の価値観にあえて照らし合わせない、という価値観。うーん、それもありか…。
■僕は超こだわり派
僕は、新しいものにシフトするのがかなり遅い。やっぱり自分でいいと思わないとダメなのだ。そして気に入ったらずっとそれを使いたい。周りや流行なんてまったく関係ないのだ。
たとえば携帯。僕はかなり最近まで携帯を持っていなかった(去年くらい)。都内はPHSで十分だったからだ。当時、携帯の月々の通話料は五千円以上で、高いと思ったし、別に携帯で写真をとったりメールをすることもないから、いらないと思っていた(ついに携帯にしたのは、PHSの会社が全国サービスができなくなってきたから)。
あるいはスタバのコーヒーのパーソナルカップ。あれを持参すると20円割引になるのだが「コーヒーをプラスチックのカップで飲むなんて邪道だ!」とのこだわりがあったので、しばらくは「マグカップ」で飲んでいた(いまは20円に負けてプラスチックカップで「うまい」といっている邪道な僕がいるが)。
■こだわらないのが日本人?
しかし、歴史を振り返ってみると、日本人は案外こだわらない民族なのかもしれない。古い建物も惜しみなく壊し、新しいのを建てる。いろいろな宗教、文化、食べ物を受け入れ、あたらしもの好きだ。実際、鎖国などなかったという新説もあるくらいだ。
ご存知かも知れないが、ヨーロッパというのは意外と保守的である。イタリア人もそうだ。ミラノに住む日本人の友人が先日、ぼやいていた。「ウォッシュレットをイタリアに売り込もうと思うんだけど、全然ダメなんだよね。"そんなのいらないっ"て言うんだ。ビデなんかよりずっと効率的なのに」彼らにとっては「用を足したあとは手で洗う」のがこだわりなのかもしれない。
■事業もこだわり
ビジネスも、大きく二つに分かれる。理念にこだわっている人とそうでない人だ。ある人は、自分の思いが形になったのが事業で、その理念の実現に全精力を傾ける。会社は自分の分身みたいなものだ。が、一方では、とにかく金儲けができればいい、儲かったら会社を売って、ほかのことをしようと考える事業家もいる。要はこだわっているところが違うのだろう。どちらが正しい、ということはない。どちらが好きか、である。
■こだわるべきか否か
こだわるとは、ほかのものを切り捨てることだが、同時に深みも増す。一方、こだわらないとは、広く物事を吸収できるが、軸がはっきりしない。
僕は日々、この狭間をいったりきたりしているが、いまのところの結論としては「つねに間口を広くとりながらも、その中で自分がいいと思ったものには徹底的にこだわろう」と思っている。新しい価値観は、ふれてみないとわからないし。
さて、皆さんはこだわり派、それとも新しモノ好き派?
まとめ:こだわらない中に、自分のこだわりを見つけよう。
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