山崎 雅保のコラム「子育てカウンセリングレポート」
山崎 雅保(やまざき まさやす)
心理カウンセリングルーム「ハートピット」所長
心理セラピストとしてカウンセリングを担当する一方、親子問題、教育問題、更には心の健康に関する執筆活動や教育関連の団体での講演会を精力的に行う。講演は全国の教育関連担当者達の間でも好評。
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Vol. 1 『コミュニケーション力を失った子ども達』
(2008年04月05日)
「不思議な現象」または「きわめて分かりやすい現象」。
私のカウンセリングルーム『ハートピット』にやってくる、小学校低学年で不登校または不登校傾向にある子ども数人の様子をながめていて「不思議だ」と思います。同時に「分かりやすい成り行きだ」と感じます。
不登校(傾向)しているその子たちはみんな賢いのです。感受性もよく、素直な子たちです。
そんな「素晴らしい子たち」がなぜ不登校(傾向)しているのか。みなさんは不思議に思うでしょうね。
けれどボクにとっては少しも不思議ではありません。それどころから「素晴らしい子たち」だからこそ不登校(傾向)せざるを得なくなるのは「きわめてわかりやすい成り行きだ」と感じるのです。
賢い。恵まれた感受性。素直。そんな子たちにとって学校は「楽しい場」であるはずです。イジメ問題ほかさまざまな課題が浮上している昨今の学校ではあるけれど、それでも学校は、昔も今も変わらず「子ども達にとって楽しい場」であり続けているはずなのです。
なのに、本来であれば「学校向きな子」の典型であったはずの、賢くて感受性に恵まれた素直な子たちが不登校(傾向)してしまう。なぜだと思いますか?
学校が悪いのでしょうか。教師の指導力が低下したからでしょうか。子ども達が全体として怠け者になってしまったからでしょうか。
どれも部分的には当たっているのでしょう。けれど本質的な理由は、もっと別のところにある、とボクは考えています。
子ども達が学校という「場」で磨くものは何でしょう。学力ですか? たしかに「学力を培う場」として機能するのも学校です。けれど学校を「場」の一つとしながら子ども達が磨くもっとも大切な能力は学力ではありません。コミュニケーション能力です。
言語、表情、動作、その他もろもろを駆使する柔軟にして複雑かつ多彩なコミュニケーション能力。それは人間を人間たらしめる能力と定義してもよいでしょう。あらゆる生物が、必ず何らかの手立てでコミュニケートしていますが、柔軟さと複雑さと多彩さにおいて人間に比肩しうるレベルでコミュニケートを行う生物は、少なくともこの地球上ではきわめて少種にとどまるはずです。
話題を戻しましょう。学校は、たしかにコミュニケーション能力に磨きをかける「場」です。けれど学校が担当するのは「磨きをかける」です。コミュニケーション能力の土台はもちろんのこと、あらかたの構築を行う「場」は家庭です。
優れた資質に恵まれて生まれてきた者は、その潜在能力にふさわしい刺激や調整を受け続けてはじめて資質にふさわしい能力を発揮し始めます。しかし適切な刺激や調整を受けられないまま過ごしてしまった「優れた資質」は空回りします。自分の力を適切に発揮してこそ体感できる自信にも恵まれません。
能力が空回りし、かつ自信を得られていない者の心は「適応の幅」をせばめます。困難や課題に取り組んで乗り越える機会にも恵まれません。そうした結果として子ども達の心理に生じるネガティブスパイラルの代表が「不登校」だと考えられます。
「家庭における養育力・教育力の低下」。多くの方々がうなずき嘆く日本の現状の一端ですね。けれどボクの目に映るのはもっと深刻かつ悲惨な状況です。
日本の家庭においては「人間らしいコミュニケーション」が希薄になってしまっています。コミュニケーションが希薄な家庭に育つ子どもが「コミュニケーション能力の土台」を獲得できるはずもありません。
ボクは「この深刻な事態」の背景を認識していただきたくて語り続けています。どうしたら「日本ならではのコミュニケーション豊かな家庭」を再興できるのか、みんなで知恵を出していただきたく訴えています。