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「負けてたまるか!」

濱宮 郷詞(はまみや さとし)

福祉講演

 この度、「講演依頼ドットコム」さんのご好意により、コラムを掲載させて頂くことになりました濱宮郷詞と言います。末永くよろしくお願い申し上げます。と言いつつ、実際コラムと言っても何を書けばよいのか。文才の無い私は戸惑いを感じながら書いている次第でありまして、…恐縮しているというのが現実です。結局、何を書こうかと考えたところ、講演で話しているお話を含め、自分自身が車椅子生活になってしまい色々体験した事をここに書かせてもらおうと思います。それが私を知ってもらうことの一番近道だと思います。そして、読んで頂いている中で、きっと何かを感じてもらえると思います。文才無く読みづらいかも知れませんが皆さんお付き合いください。

第 2回 父の死

 私は、恐る恐る振り向くと、そこには父が倒れていたのです。
今までドライヤーをかけていた父が、出社準備をしていた父が、奇声と共に、
鏡にもたれかかれるように、そっと倒れていきました。
スロービデオのようにゆっくりと、ゆっくりと、倒れていきました。
そして、普段やさしい父から見る事の無い、恐ろしい形相の父に変わっていったのです。

 私は慌てて母を呼びました。なんて呼んだのかそこまでは記憶にありません。三十四年も前ですからね。
母も動揺したことと思います。母は急いで掛り付けの医師に電話をしました。今で言うホームドクターでしょうか。
そして、母は1〜2分くらいの所に住む父方の伯母を呼びに行きました。母も必死だったと思います。
急いでいたので裸足で行ったようでした。私は、一人ぼっちで物凄い形相の父の側にいました。
父は唾を「ペっペっ」と吐き、と言っても普通に吐くのではなく、よく「泡を噴く」と言う事を聞きますが、
あの状態がきっとそうなんだと思います。「ぺっぺっ」と細かく小さな唾を噴いていました。
その様子は、「石鹸のような泡」とは違うんですよ。「ぺっぺっ」と細かく小さな唾を噴いていたのです。

 「怖くて怖くて・・・。」 私は、普段見たことの無い父の姿に衝撃を感じていたのでしょう。
ただ、「怖い」のひと言でした。そりゃそうですよね。救急医療センターの医師じゃあるまいし・・・。
5才の子供ですもんね。独り泣きじゃくり、事の一大事を感じていました。
ただ、怖かったという記憶だけが今も鮮明に甦ります。

 しばらくして、母が戻り医師が来ました。医師は、血圧を測り首を振りました。
「もう、無理だ。それでも、救急車呼ぶかい?」 母は縋る思いでした。
救急車が呼ばれ、父と母と私と、市立病院へ運ばれました。父は救急室へ連れて行かれ、
普段車なれしていない私は、吐き気をもよおし、外で嘔吐してしました。
だから覚えています。「ワカメの味噌汁」

 父が処置を受けている間、私だけが中へ入れてもらえません。子供だからでしょう。
病院の冷たい廊下で独り淋しく待っていました。立ったり座ったり。
こういう時はとても時間が長く感じるものです。心細く独り一生懸命我慢していました。

 そうこうしていると、姉が父方の伯父に連れられ病院へ到着しました。
と言っても姉も治療室に入れてもらえる訳も無く、二人で廊下で待たされました。
長く長く心細い時間が過ぎました。救急室の前なので、その間色々な患者が運ばれてきたのを覚えています。
中でも、ストレッチャーに乗せられた女性を覚えています。眼が飛び出し血まみれになった女性でした。
5才の私には刺激が強すぎたのでしょう。「ひぇぇ」ってな程、強烈でした。
しばらくして、治療室が開き中からその女性が出てきたのです。ストレッチャーは変わらないのですが、
先ほどとはかなり違います。そう、眼が、眼が、引っ込んでいました。すっすごいですよねぇ。
眼が飛び出ていたんですよ。それが正常になってた。私はその落差に再び、「ひぇぇ」でした。

 どのくらい待たされたのでしょう。とても、とても、長かった・・・。しばらくして看護婦に呼ばれました。

「お父さんきれいにしてあげようね。」

5才の私には、何のことか分かりません。多分、姉も分からなかったと思います。
私と姉は病室の中へと導かれました。そこには眼を真っ赤にした母と、体に管を入れられた父が横たわっていました。
ペニスに管を入れられ、ベッドサイドに垂れ下がったビニールの袋には父の尿が溜まっていました。
今まで見た事の無い光景に戸惑っていると、看護婦が言いました。

「お父さんにお水あげようね」

そう言って、割り箸のような棒の先に綿をつけ、水を含ませ唇にそっと当ててあげました。
顔も拭いてあげたようにも覚えています。何故か涙が溢れていました。何故だかは分かりません。何も分かりません。
ただ、分かっていたのは優しかった父が声をかけても動いてくれない。という事だけでした。

今では遠い遠い記憶の中です。

 夜になると、お通夜の為、親族が集まり始めました。当時の私は無邪気なもので、自分の父親が死んだことすらよく理解できず、
何故周りの人達が泣いているのか不思議でした。周りの人が泣いているから「私も泣かなくてはいけないんだ。」そんな思いで泣いていました。

 父は沢山の思い出をくれました。倒れる前夜も花火をしてくれましたし、風呂も一緒に入りました。
トイレでは「おしっこチャンバラ」をしました。「おしっこチャンバラ」ってご存知ですか?その名の通り、「おしっこでチャンバラ」です。
優しくて子煩悩の父でした。倒れた朝は倒れる前まで話をしてくれていました。しかし、人間なんてあっけないものです。一瞬です。
一瞬で亡くなってしまいました。私も同じです。一瞬で歩けなくなりました。でも、人間は強いんです。中々死なないものです。私を見れば分かります。

これを読んでいる皆さんの中で、今、死にたいと思っている方、中々死ねないものですよ。
自殺して障害でも残ったらその方が悲惨ですよ。あせらずにも死ぬ時は簡単に死ぬものですよ。

 翌日、父の葬儀が執り行われました。私は泣きたくても泣けません。当たり前です。
父が死んだことすら理解していないのですから・・・。
私は一生懸命泣く振りをしました。周囲の人たちは涙を流しています。
だから、私も「泣かなければいけないのだ。」という使命で泣く振りをしました。
やがて葬儀も終わり、霊柩車に棺が入れられ火葬場に向かいました。
火葬炉の前には、何人もの写真が飾られていました。5才の私には初めて見る光景でした。
やがて、父の棺を火葬炉に入れる時間になりました。火葬炉の扉が開きます。
台車に乗せられ、ゆっくりと父の眠った棺が入れられました。父との最後の別れです。
そして、扉が閉められた瞬間、私は初めて心の底から泣き叫びました。

「お父さんを出してぇ!」

そこには、何も分からない5才の男の子の叫び声だけが虚しく響き渡りました。

私と父との生活は5年間というあまりにも短い時間でした。

つづく


<濱宮 郷詞講師のコラム バックナンバー>

第 1回 私は死にました
 
 

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