Vol.36
「変えうるものを変える勇気と、その相違を悟るための知恵」
毎日がんばっていると、ものすごく楽しく1日がすぎる。体の底から興奮したエネルギーがドンドンわいてきて、外へ向かう活発な自分になれる。社会人になりたてのころは、毎日がそんな感じだった。新しいことにワクワクして、編集する本1冊にも必死になり、取材現場でのカメラマンの動きも、スケジュール管理も、朝の通勤の電車の中でさえも、新しい自分を発見しようとバリバリと働いた。
知らないことを覚える時の快感というのは、自分の腕や能力が少し上がった気がするし、自信がなかった部分を補ってくれるような気持ちになれるからだと思う。楽しくて仕方がなかった前職を辞めて、25歳で自分で会社を作ったときもまだそのエネルギーは持続していた。会社を辞めて、引越しして、結婚して、起業してと、いろいろ続いたけれど、忙しさはあまり感じなかった。とにかく「前に進め!」という感じだったような気がする。
しかし、子供ができてから、状況は変わった。がんばろうと思っても、がんばれない。どんどん大きくなっていくおなかを眺めながら、その状況を受け入れるしかなかった。そうやって、「受け入れる」という考え方をなんとなく理解してから、いろんなことに無理に抵抗しないようにはなったと思う。「なるようになるか」という何かに身を任せる感じ。でもそうしていると、「妊娠してるからがんばらないでおこう」とチカラを出し惜しみするようになってしまった。そうすると、それはそれでストレスがたまった。
弊社で講演をしていただいた、セラピストの石井裕之さんは以下のように語る。「人生が用意してくれたチャレンジから逃げるとき、人は神経症になる。そのチャレンジは、自分自身が求めた、内なる「私」の勇気ある試みである。だから、踏み出す前からできっこないと諦めることは、自らの内なる勇気を否定したことになる。逃げるためのヤワな言い訳を叩き潰すために、神経症が現れるのだ」と。
何でも受け入れればいいわけではないのだ。受け入れるという名目で、目の前のチャレンジから目をそらしていることもあるかもしれないと、思った。毎回起こる目の前の問題に対して、すべてを「受け入れる」という感情で処理することは、自分の力を余して、全力でその問題にぶつかっていないということにもなりかねないのだ。
ラインホルト・ニーバー(アメリカの神学者)は以下のように語る。「神よ、われに平静を与えたまえ、変ええざるものを受容するために。変えうるものを変える勇気と、その相違を悟るための知恵とを」
目の前の出来事を、受け入れるのか、それとも自分の限界までがんばってみるのか。私にはその差はまだうまく言葉にはできないけれど、きっと個人個人で違っていて、正解というのもないのかもしれない。その時々の判断を、自分の価値観と責任でしていくことが、自分の人生を、人に依存しないで歩いていくということなのだと思う。
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