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Vol.64 「人に何かをすること」
白隠禅師は言った。「悟るとは、自分の周りのものがよく見えてくること、自分の周りの人々に思いが及ぶこと」
また、クラシカルホメオパシーの第1人者ジョージ・ビソルカスは、こう言った。「本当にSpiritual(スピリチュアル)であることは、利己主義から開放された状態であり、Spirit(スピリット)の健康はEgoism(エゴイズム)からの開放である」
悟るというのは、正直、よくわからない。そんな気持ちになったこともあるような気がするけれど、本当にそれがそういう状態なのか、禅の本を5冊くらい読んでみたけれど、よくわからなかった。
ただ、私の中でわかってることが、1つある。自分との折り合いがつくと、人に何かをすることがあたりまえになるということ。
普段、私たちは、「自分」にとらわれているんだと思う。それが、悟ったり(そこまで大げさに言わなくても、自分の調子がいいとき)するときというのは、自分自身にとらわれなくなる状況なのかなあと思う。
自分自身が満足している状況でない場合、誰かのことをうらやましく思ったり、人に何かをするときに、「ここまでしないといけないかなあ」と、ついつい持っている力をセーブしてしまう思うことが多い。
それは多分、満たされていない自分を満たしたいから。あの人にやさしくするよりも、まず自分にやさしくして・・・と心のどこかで、自分自身が語りかけるから。
私の中での、自分の調子をはかるとき、周りの人にやさしい自分でいられるかを考える。それは、表面的なやさしさや何かをしているかとかではなく、心の底で本当にその人のことを考えられているかというところで。
周りの人に感謝できないときは、自分自身が問題を抱えている。自分の中にもう1人自分がいて、自分同士がケンカをしている感じ。対立する意見をもっていて、自分の中でどこか折り合いがつかない。かといって折衷案というのも納得いかない。何かにとらわれているのはわかっていても、それをすんなりと振り払うことができない。
そういうときは、たいてい、自分自身が迷いの渦の中でぐるぐるしている。けれど、たまに何かの拍子に、スポッと雲の中から顔を出したように目の前が開けることがある。すると、今まで自分という殻の中で小さく縮こまっていたのが、自分という存在すら感じないくらいに大きな視点になり、自然と周りの人が見えてくるのだ。
母性本能が強い私の特性として、「よし、1歩踏み出すぞ」という力は、自分自身のためよりも、ほかの人のためにやるとき、とても強い。マザーテレサやキング牧師などのように、そこまで大それたことじゃなくても、身近な人のためとか、自分の見える範囲の人のために何か自分ができると思うと、そこに自分の存在意義を感じるから。
誰かのために何かしようという気持ちがわいたとき、その気持ちに素直に行動してみると、気持ちイイよ。それは、自分との折り合いがついているしるし。つまり、ゴーサインということだから。
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