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Vol.
23 「長崎児童殺傷事件」
6月1日におけるいたましい事故。長崎児童殺傷事件がおきた。同級生の女子児童が友人関係でありながら、惨殺的な殺人が行われた。加害者は首を切りつけ、被害者が動かなくなるまで、現場で確認するという恐ろしい行動をした。
インターネットで中傷されたからだと言われているが、1週間ほど前に加害者は男子児童に対しても、カッターナイフで殺すぞと脅していたのである。このことを考えると、中傷されたことも引き金にはなっているとは思うが、加害者は無差別に誰かを殺したかったのではないか?と考えられる。
この事件においても、スポーツがキーになってくる。加害者・被害者ともに、バスケットボールクラブに所属していた。加害者は、母親の反対にあいバスケットを辞めたようだ。それを追うように被害者の児童もバスケット部を辞めた。
最近の子供たちは、愛情を感じることが少なく、ストレスを多く抱えているようだ。そのストレスを取るためには、スポーツは良い手段だと考える。そのスポーツを成績が落ちたという理由で、辞めさせられた加害者。原因のひとつにバスケットボールを辞めさせられたことがあるのではないだろうか。
報道では、このバスケットボールを辞めた時期から、暴力的な言葉使い、赤を多く使った絵(暴力的な気持ちを示すものらしい)をインターネットに乗せていたようたようだ。
私は高校時代に、いじめにあった。登校拒否、軽い閉じこもり状態にもなった。しかし、ここから立ち直れた原因のひとつに私の場合は野球があった。スポーツをすることで迷いが消え、また新たな目標が生まれてきたのである。
子供たちは、大人に手を上げられることもなく、一人っ子が多いことなどからも、喧嘩をすることもなく、殴られる痛さ、殴る痛さをまるで知らない子供が多いのではと感じる。それにまして、ゲームでのリアルすぎる殺戮ゲーム。ゲームでは、あたかも簡単にリセットできると思わせる。
喧嘩をしたことがあり、人の痛みの分る人間であれば、インターネット・映画・ゲーム・漫画などの仮想の世界と現実の世界を上手く使いこなせることが出来るであろう。しかし、子供たちに何も教育せずに、この仮想世界と現実世界の区別をつけることが可能であるのだろうか・・・。
最近よく、子供たちの自主性という言葉を聞くが、まだ良し悪しの判断もままならない子供に自主性だとか放任だとかというのは、大人の責任逃れだと感じることが多いのは私だけであろうか?
これから日本の教育について、私たち国民も考える時期に来ていると私は考える。
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