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第53回 「ネバーギブアップ」
1978年秋のこと、ぼくは17歳だった。
養護学校の高等部にいたものの、
障害の重さから将来の希望など皆無というより、どうして自分は生きているんだろとさえ思っていた。
小さな図書館にこもって様々な本を乱読したが、その答えは見つからなかった。
なかでも自らが「男」であることが、いやでたまらなかった。
自身のこんな身体(からだ)では、本当の男にはなれない。
そんなとき高倉健主演の『野生の証明』を観た。
うる覚えだが映画のポスターには、目立つ文字で「ネバーギブアップ」とあった。
近づくとハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーの
「男は強くなければ生きられない。優しくなければ生きている資格はない」
という言葉があった。
以後、ぼくの心には「ネバーギブアップ」がある。
そのポスターに引き寄せられるように映画館に入った。
車イスでの身長が120センチのぼくは、劇場の後方のドアから入って、
通路になっている階段の一番上から、車イスが落ちないように気をつけながら
映画の世界にのめり込んだ。
たとえ虚構の世界でも健さんが演じる、主人公の味沢に男の生き方を教えられた気がした。
映画というか物語は、こんなにも面白いものなのかと、
その後に作家になろうとしたきっかけとなっている。
以来、数多くの映画を観ている。そして、いつのころからか劇場にも車イス席が設置されるようになった。
ところが、その大半がスクリーンの目の前、
映画をプラネタリュームのように観なければならない最前列なのだ。これは辛く途中で帰りたくなる。
たしかに車イス席がなく、階段から落ちないように気にしながら映画を観ていたころに比べれば
バリアフリー化されているのは有難い。
けれど同じ観客としては、やはり真ん中あたりから映画を楽しみたい。
ど真ん中でなくても、その両サイド付近のシートをいくつか撤去して、
ほんの数台の車イス席を作ることは、さほど難しい工事や設備が必要だとは思えない。
たしかに劇場側=経営者からみれば、たまにしか来ない車イスの客にそんな配慮が必要なのか?
それも否定できない現実だろう。
しかし、もしも設計者の方が、自分自身が車イスの客として楽しみに映画を観ようとしたとき、
スクリーンを見上げて2時間も我慢させる設計にするのか、どうなのだろう。
チャンドラーの言葉を借りれば「経営は儲(もう)けなければ生き残れない。
優しくなければ経営者の資格はない」と思う。
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