|
Vol.6 「コミュニケーション (2)対人折衝」
前回に引き続き、テーマは「コミュニケーション」について。
第2弾目は、「対人折衝」に焦点を当てて早速進めていきたいと思います。
=====================================
私なりの観点で対人折衝に長けている人を観察し、表現してみるとするならば・・・あらゆる人間関係においてそれがどのような関係の場合でも、相手を敬いつつ、自分の意見をごく自然にさらりと通せる人。がっついてもいないけど、熱さがある人。存在感があるのに、目障りじゃない人。表情が豊かな人。話題が豊富な人。観察力のある人。有言実行の人。
つまりはインプットとアウトプットのバランスを自在にコントロールできる"能力"を持つ人が、
対人折衝に長けていると言えるのではないでしょうか。
態度と行動と言葉。そのどれかを発信する時、そこに自己責任が生まれます。だからその前にインプットしたデータを検証し、データ量が多ければ多い程、場面毎に使い分けができ、それが妥当なアウトプットである可能性が高くなる。どんなに時間を割いても、この"能力"は身につけるべきだと自分自身の経験がそう結論を出しました。
仕事上で自分にとって苦手な相手とプロジェクトを進めていかなければならない時、嫌だからと言ってコミュニケーションを避けて通れば、能率は上がらず、どちらかの意思が一方的であれば、受け手側は多大なストレスを感じることになるでしょう。ならば、よりよい関係を築いた上で、一歩踏み込んだ意見を議論する方が発展的でいいものができる。
と言っても、人対人の関係は簡単にはなかなかうまくいかないものです。それでもやめずに変化を求め続け、その過程で相手の新たな一面を見つけたときや、真意に気づいたとき、自分自身も凝り固まったものの見方になっていたことに驚くと同時に、それが"能力"に目覚めるということになるのだと思います。
私の場合、皆さんもご存知(じゃない方もいらっしゃるかもですが)のように、シンクロ日本チャンピオンである立花美哉さんと引退する昨年までの8年間、デュエットを組ませて頂いていました。
当初、「有り得ないペア」だった立花さんと私。というのも、身長差は有るは、手足の形は反り返ってるのと棒の様に真っ直ぐなのとで違うは、動きはしなやかなのとパワフルなのとで違うは・・・で、性格も違う。O型同士でしたけども(笑)。とにかく何を取っても正反対の2人だったのです。
どうして合わせていけばいいのか、何も答えの糸口がつかめないままのスタートとなりました。
案の定、毎日が「わからない」だらけ。ダメ出しの連続で、自分のシンクロ観を見失い、自分らしい泳ぎも、得意な技も、自信も何もかもをなくしていきました。
「わからへん・・・。」 家ではこれが口癖。
でも、先輩である立花さんに方法を聞くことは決してしませんでした。
今だから認めますが、聞きたくなかった(笑)。先輩・後輩の関係でも、どこかにライバル心があって、「できない自分」を見せたくなかったのです。そして一方の立花さんも、スタンスとしてはシンクロにどこまでもストイックに打ち込み、言葉ではなくその背中で見せる人でした。当時、自分でいっぱいいっぱいの私はただ足掻くだけ。新しいデュエットパートナーとして求められているものが何であるのか、コーチのダメ出しの言葉から少しずつヒントを拾い集めるしか術がありませんでした。
この時期は何年も続きます。私は、方法を聞かない=コミュニケーションを避けている。立花さんは、自己への集中=コミュニケーションを必要としていない。こんな風な図式が確立していきました。(これはあくまでも、私の見解ですよ。)
コーチもこの関係について何もコメントはされなかったように記憶しています。むしろ「あんたらおもしろいなあ(笑)」と、ライバル関係歓迎ムード!?この雰囲気を客観的に捉えることができるようになった頃、私の中でだんだんと変化していったのは「デュエットとしてのスタートは、これが正解だったのかも」と思えてきたことです。はっきり言って、探り合いです。コミュニケーションがない分、ものすごく相手を観察しました。
コミュニケーションが少なかったからこそ、交わしたその言葉の一言一句に集中をし、相手を理解しようとしました。足掻いたけれども「こんな緊張感の鮮度を保ったままの関係も有りなんだ!」と、ある種の受容ができたその時が、対人折衝の能力に目覚める時だったのです。
こう言い切ってしまうと、あたかも私にその能力があるということになってしまいますが、そうではありません。誰もが本来持っている能力なのです。気づくか気づかないかの問題です。前回の「上下関係」の時にも述べたように、心は解放すべきです。開けっぴろげにすることではなく、入り口を開くことで何か新しい感覚がキャッチできるのです。キャッチしたらすぐさま分析。分析の結果、私が立花さんとの関係で導き出した答えは「緊張感はそのままに、でも探り合いではない、わかりやすいコミュニケーションを始めよう。」ということでした。
探っていた間は、「きっとこうに違いない」とか「たぶんこれのはずだ」とか、どこか曖昧で、それ故に能率が悪かった。そしてそれが一体感の欠如にも繋がっていた可能性があった・・・。
ステージを上のレベルにアップする時が来たと感じました。
「言いにくいから」「受け入れてくれなさそうだから」「できない自分を見せたくないから」と、避けて通ってきたコミュニケーション。私は競技者としてどうしても「勝ち」にこだわりたかったから、コミュニケーションの必要性を感じ、「発信しなければ」と思いました。その代わり、上記にも述べたように、発信したその瞬間に自己責任が生まれることを念頭に置いて、自分の中で"絶対"の感覚になったことだけを伝えなければ、相手に対して説得力がないということも意識しました。
私が監督を見てきて思うのは、言葉に矛盾がありません。「前はこう言っていたのに・・・」と、いうことは一切ありませんでした。そして、変化を敏感に感じ取って下さいました。これは、選手(部下)にとって、取り組みに対する最大のご褒美です。厳しかったですが、その辺りの言葉のかけ方のタイミングなどは、やはり百戦錬磨というところなのでしょうか。
いや、きっと、監督(上司)も心をいつも開いていたからこそ、変化に敏感であり、
絶妙のタイミングが計れるのでしょうね。
そして、もう1つ。これまた恩師から。
「言葉や行動は、自分はちゃんと伝えたつもりでも、結果として相手に伝わっていなければ何も言ってない、何も動いてないことと同じだ。」「口先だけの"ありがとう"はすぐにわかる。本当に感謝している気持ちのないありがとうなら、今後一切私にはいらん。」と言われたことがありました。
相手との意思の交流が「コミュニケーション」。言葉や行動は、それを最もわかりやすく伝えるためのツール。だから大切にしなくてはいけないし、そこに心が必要になるのです。今、新しい社会に踏み出して、私はこの重要性を感じています。その時、怒られて泣いたとしても、この大切さを知ったことは宝になっています。
最後に皆さん。周りにいる近しい方と、たくさん話をして下さい。今日あった出来事でもいいです。面白かったテレビの話でもいいです。その代わり、相手にわかりやすく、自分のその時・その瞬間に感じていた心の中の感想を織り交ぜてみて下さい。
これを繰り返すうちに、自然といつも自分の考えを整理できるようになっているし、目上の人、あるいは上司の方と話す時にも、自分の言葉に客観性を持って伝えることができたり、一番伝えたい部分を強調して話せる表現力がついていると思います。是非、話しやすい相手を見つけて実践してみて下さい。
ちなみに、私にとっては幼い頃からそれが家族でした。
物事に対して、「諦める」という選択をしなかったのは、この支えによるものが大きいと実感しています。
メールのやりとりでも、意思の交流はもちろんできますが「文章を考える」という作業がその人の瞬発的な反応ではありません。瞬発的に出る会話には、ドキッとされられたり、はっと感心させられたり、刺激があります。話すのが不得意な人でも、心を開いて相手の話を聞くことで、何かキャッチできた部分があるはずです。それに注意深く気づいて、その中身を取り出すのが会話です。きっと人との交流が楽しくなると思います。
次回も、「コミュニケーション」というテーマについてもう少しお話したいと思います。
お楽しみ!?に。
|