Vol.3 『焼酎ブームの過去・現在・未来』
焼酎は私にとって日々の生活の一部である。飲み始めたのは、25年前の学生時代。友人に九州出身者が多かったのと、旅行の添乗員のアルバイトで九州各地を頻繁に訪れたのがきっかけとなって、焼酎にどっぷりとハマった。学生には安上がりで、早く酔えていいということもあり、当時は銘柄など気にもせず手当たり次第に飲みまくった。大分、熊本、宮崎をはじめ各県の様々な焼酎を頂いた。現在の焼酎ブームの中心である芋焼酎や黒糖焼酎も、鹿児島で浴びるほど飲んだ。
鹿児島の人達は「だいやめ」が日課だ。「だいやめ」とは、だれやめ、ダレるのをヤメる、疲れをストップすることを意味する。つまり、酒を飲んで一日の疲れを取って元気になって極楽じゃ!、ということである。地元産のサツマアゲ、キビナゴ、黒豚、ガランツ(魚の干物)を肴に飲むとイケる。
昨今は各地の色々な焼酎も飲む。奄美の黒糖焼酎はこたえられない旨さだし、沖縄の泡盛の古酒(クースー)は豆腐ようを爪楊枝で削りながら頂くのが最高だ。北海道のシソ焼酎や高知の栗焼酎、徳島のスダチ酎、佐賀のキャロット焼酎などなど飲み比べも楽しい。
外務省による経済交流促進のための講師派遣でブラジル(伯州)に伺ったのがきっかけとなり、現地の商工会議所の日系人経営者らと話す中で、伯州産の黒糖焼酎とも言えるので、"伯糖焼酎"(はくとうしょうちゅう)と私が邦訳を考えたピンガ(カシャーサ)も嗜む。
焼酎は日本の文化。胸を張って日本の蒸留酒、焼酎をチビチビとグローバルに広めて行きたい。ここ数年、焼酎の蔵元の社長と連れ立って海外に行き、パリなど欧米の星付きのホテルのBARやレストランに、焼酎を置いてもらうべく活動を始めている。
シラク大統領も焼酎をとても気に入ってくれているようだ。
先日も、日本でもテレビでCMをやっているイギリスの掃除機メーカーのダイソン社の社長でもある、ジェームス・ダイソン卿にプレゼントしたところ、「信じられないくらいウマい!」と直接メールを頂いた。
日本の焼酎が日本食や日本酒のように、世界の人々に愛される日が来ると信じて疑わない。
| 8年前、鹿児島県より現在の焼酎ブームの火付け役を依頼される |
焼酎の人気がとどまるところを知らない勢いだ。今や焼酎の消費量が日本酒を上回るまでになった。この20年程の間にも甲類焼酎を割った酎ハイや麦焼酎のブームはあったが、今回の焼酎ブームの主役は芋やサトウキビを原料とした本格焼酎である。
10年前、東京や大阪の飲食店で芋焼酎や黒糖焼酎を頼む人と言えば、鹿児島や宮崎など九州の出身の男性と相場が決まっていた。
和食の店や居酒屋でも麦はあっても芋焼酎や黒糖焼酎は置いてない所の方が多かったし、置いてあっても「白波」だけだったもし、デートで女性が焼酎など注文しようものなら、男は恐れおののいて「失礼します」と逃げ帰ったに違いない。
それがこのところ、テレビや雑誌で女優やアイドルタレントが、「焼酎にハマってます!」と平気でカミングアウトするようにまでなっている。もはや全国津々浦々、老若男女が焼酎漬けと言っても過言ではない状態だ。
1996年以前にも、焼酎をはじめ酒類メーカーの全国組織である酒造組合中央会の本格焼酎講座の講師を務めるなど、焼酎の消費拡大のお手伝いをさせて頂いてはいたが、本格的にお手伝いするようになったのは、1997年に頂いた鹿児島県からの依頼がきっかけだった。
愛・地球博も誘致した、経済産業省に勤める旧知の松尾隆之氏が、当時、鹿児島県の商工労働部長に出向していた。
その頃は全国的にワインブームで、芋焼酎や黒糖焼酎の売上は鹿児島県内でも九州全域でも芳しくなかった。バブル崩壊後の不況によるパイの縮小に加えて、さらに焼酎の酒税が上がることになった。また警察の飲酒運転に対する罰則も段階的にますます厳しくなることが決まるなど、まさに弱り目にたたり目という状況だった。
鹿児島県の薩摩、大隅、奄美をはじめとする島々にとって、芋焼酎や黒糖焼酎は非常に重要な産業である。農業、物流、建設、タンク等の機材、ガラス瓶、ラベルの印刷などに至るまで裾野は広い。
「ただでさえ不況で消費量が減っているのに、酒税が上がり、飲酒運転の罰則も強化されると、鹿児島の経済に大きなマイナスになる。東京などの大都市圏で芋焼酎や黒糖焼酎の消費に火を付けることができないか?」と相談を頂いた。
そこで、県のバックアップにより、焼酎のブランド化を目指す蔵元の集まりだった「鹿児島県本格焼酎銘柄確立対策協議会」を母体として、各々の蔵の代表者に集まってもらい、私が座長となって、「鹿児島県本格焼酎マーケティング研究会」を結成した。
東名阪などの大消費地の消費者にどうやったら芋焼酎や黒糖焼酎を飲んでもらえるのかを調査研究し、実際にPR活動を行い、効果的な営業手法を考案し実践することを目的に活動を開始した。
タブーへの挑戦だった。
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