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Vol.16 『歴史の教訓』
先月のこのコラムでは、経済の管制高地(commanding
heights)の話をした。
経済の仕切るのは国家なのか、それとも市場なのかという命題である。
そしてイギリスのサッチャー革命以来、少なくとも先進諸国では国家ではなく、
市場が経済を仕切るという政策に変わってきた。
結局のところ、国家は市場ほど上手に経済を仕切れるわけではないということが
明らかになったからである。
小泉政権が推進した郵政民営化をはじめとする「国営事業」の民営化はその例である。
日本の民営化は別に他の先進諸国に比べて早いわけではないが、
すごく遅れているわけでもない。
例によって日本は「動き出すまでは遅いが、いったん動き出すと速い」からだ。
もっとも誤解を招かないようにしておかねばならない。
経済のどの発展段階においても市場が常にうまく作用するとは限らない。
日本が奇跡の復興を遂げた戦後経済では政府や日銀を中心にした
資源配分システムが効率的に運用された。それは結果を見れば明らかである。
あの当時の日本経済を市場というシステムの中に投げ出していれば
現在の日本はなかったはずだ(もっともさらに指摘しておくならば、
奇跡の復興は政府や日銀だけの功績ではない。その当時の日本が置かれた状況も
大きな役割を果たしたはずだ)。
しかし時代は移り変わり、政府の役割はどんどん縮小してきた。
このように変わってくるのには理由がある。
もっとも端的な理由は、国家がこれ以上「国営事業」の面倒を見きれなくなっていることだ。
国鉄が民営化され、国鉄が抱えていた巨額の負債は結局、精算事業団に移され、
税金で面倒を見ることになった。
国家が所有し、独占的な地位を占める企業は、必ず効率が悪くなり、腐敗する。
そしてその尻ぬぐいのために税金が投入される。
独占しているということで、市場価格によるチェックが効かない。
つまり消費者が望んでいる商品あるいはサービスかどうか誰も気にしない。
売れるかどうか誰も気にしない企業は、自分を改革していく動機がない。
第二次大戦後のヨーロッパや、ソ連や中国もこのような国営企業が存在した。
日本でも、国鉄や電電公社などがそうした非効率の例として早くから民営化の俎上に上った。
日本航空なども国策会社として長い間、国際線では独占的な地位を与えられてきた。
しかしこうした国営会社や国策会社は先進資本主義国では
滅び行く恐竜と同じような位置づけになっている。
中国でも、私企業がどんどん増えて利益を上げているのに、
国営企業は相変わらず不採算の計画生産をしていると聞く。
そして国営企業が原材料を過去のパワーによって強引に調達するために、
私企業の原材料調達に支障が出ているともいう。
国営企業には何万人という従業員とその家族がぶら下がっているだけに
簡単にはつぶせないという状況はわかるが、長く生かすとそれだけ傷も深くなる。
中国は何とかこれら国営企業を「安楽死」させようとしているようだが、
もともと政治との結びつきが非常に強いから、つぶすのは容易ではない。
ところが、ロシアはこうした世界の流れとは逆コースをたどっているように見える。
世界第二位の石油と第一位の天然ガスを国営企業にほぼ独占させようとしている。
しかもこれらの企業にはプーチン大統領の側近が経営トップとして入り込んでいる。
それだけではない。供給先であるヨーロッパでガスの小売りも手がけようとしているのである。
上流から下流までの一貫生産販売だから企業として
儲けやすいというのがプーチンのロシアの目論見だろう。
確かに一時は相当利益が上がってくるだろうと思う。しかしそう見えるのは一時期だけだ。
時間が経てば、消費者が受け入れなくなる。パイプラインを通ってくるロシアの天然ガスではなく、
他のガスに切り替えるとか、他の燃料に切り替えるなどの手段を講じるだろう。
つまり消費者がいつまでもロシアのいいなりになってお金を払うと思ったら大間違いであるということだ。
もし世界の消費者が、市場価格からかけ離れたロシアの天然ガスや原油を拒否しはじめたら、
そのときに大あわてで企業の民営化を始めても遅い。
腐敗した非効率な国営企業は解体するしかなく、
しかもそれに代わる組織をつくるには時間もコストもかかる。
1990年代には債務不履行にまで落ち込んだロシア経済。
今や原油価格の高騰を背景に、中国、日本に次いで世界第3位の外貨準備高を誇るところまで来た。
しかしその力の源泉が国家が関与する独占企業というのでは、栄光も長続きはしない。
それが歴史の教訓である。
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