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Vol.
23 「堀江、宮内被告 実刑の意味」
3月16日、証券取引法違反に問われたライブドア元社長の堀江貴文被告に対する判決公判で、東京地裁は「証券市場の公正性を害した極めて悪質な犯行」と断じて、懲役2年6カ月の実刑判決を下した。そして3月22日には堀江元社長の右腕であった宮内亮治元取締役に対しても、懲役1年8カ月の実刑判決が下された。
これまで粉飾決算で起訴されたケースはいろいろあるが、実刑判決が下ることはほとんどない。山一証券、日本長期信用銀行や日本債券信用銀行、カネボウなどの粉飾では、執行猶予付きだった。堀江元社長は徹底的に無罪を主張し、検察官を小馬鹿にしたような言動があったから、裁判長の心証を著しく害したことは想像に難くない。しかし宮内被告は原則的に罪を認めていたわけだから、堀江被告と違って執行猶予がついてもおかしくないケースのように思える。
本来、堀江被告はライブドアグループの最高経営責任者であったのだから、宮内元取締役などの「粉飾工作」を「知らなかった」というのはどう考えても解せない話。知っていても知らなくても責任を取らされるのが「総帥」というものだ。その点からすると、「秘書がやった」と逃げ回る政治家や、「部下がやった」と逃げ回る電力会社トップにも似てどうも潔くない。
それでも実刑判決はバランスを失しているように思える。一般投資家を欺いたというのなら、ライブドアの53億円の粉飾とは二桁も違うはるかに大きな金額を粉飾したのが山一証券、長銀、日債銀、カネボウではなかったか。執行猶予付きの有罪判決となった被告の中にも、堀江被告と同じように全面否認した被告もいる。
社会に対する影響の大きさ(たとえば株主数がピークで22万人にも達したこと)を問題にするのであれば、粉飾金額が数千億円という他の粉飾事件のほうがよほど罪は重い。あるいは西武鉄道のように、大株主の株数を戦後上場して以来ずっと虚偽申告していたことのほうが何十年にもわたって株価に影響を与える事柄を偽ってきたのだから、社会的責任は大きいと言うべきだと思う。
堀江元社長が叩かれたのは「出る杭」というより「目障りな杭」だから、という印象がある。逮捕、起訴、有罪判決という一連の流れの中に、何となく既成権力の意思が見えるような気がする。
もちろん粉飾や100倍の株式分割などという手法が許されるとは思わない(株式分割そのものは当時は違法ではなかった)。しかしニッポン放送の株を買い占める(買い占め方に問題はあるにせよ)ことでフジテレビの支配を狙うなどというのは、既成の経済界ではできない発想だった。日本の株式市場には、経営に緊張感のない上場会社はいくらでもある。堀江元社長や村上ファンドのおかげでそうした経営者があわてて買収防衛策に乗り出したのは、日本経済にとってはよかったというべきかもしれない。海外の買収ファンドにとって、日本は安全な市場で企業価値が正当に評価されていない遅れた市場でもある。そういうところでは荒稼ぎができる。堀江元社長や村上ファンドが乗り出していなければ、今頃は外資の軍門に降る企業がもっとあったかもしれない。
かつて堀江元社長が言ったように、買収されるのが嫌だったら、上場しなければいいのである。あるいはいい業績を上げて株価を上げ、時価総額を大きくすればいいのである。株式市場に対する明確なビジョンもなしに、何となく上場している会社が昔から山ほどある。堀江被告や宮内被告を有罪にし、実刑を科したことによって、既成経済界に対するチャレンジそのものが窒息してしまうことを恐れる。新しい挑戦が退けられれば、規制企業はダメ会社も含めて安穏とした生活を送ることになりかねないからだ。
新興企業が上場し資金調達をしやすくするためにアメリカのNASDAQを模してつくられた日本の新興企業市場は、日経平均株価の上昇をよそに、今や惨憺たるありさまだ。これでは新興企業に銀行融資以外の資金調達の道を開き、日本経済が成長するバネとすることはできまい。新しい企業が生まれ、その中の一部が大企業へと成長していくという過程が繰り返されなければ、経済全般の成長もないのははっきりしている。ライブドア事件を契機に、ルールも厳格になった。投資家保護の名の下に行われる規制強化が新たなチャレンジを阻害することになれば、まさに角を矯めて牛を殺すようなものである。
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