Vol.3 『<パンとサーカス>の政治』
先般行われた衆議院総選挙は、大変厳しい戦いでした。私が所属しまた皆様にもごひいきをお願いしてきた自由民主党から追放される、それもたった一つの法案がおかしいというだけで追放されるという事態になりました。
それにしても、権力です。私が属していた自由民主党の豊島支部も練馬支部も、強い圧力がかけられました。都議会議員も区議会議員もまったく応援することができないという前代未聞の体制が取られたのです。各種団体に対しても中央から異常ともいえるほどの締め付けが行われました。そんな中マスコミは、『どう考えても小林興起は選挙に勝てるはずがない』という厳しい報道を毎日のように流しました。
東京というところは、非常に『風』に左右されやすい選挙区だと思います。
今から十三年前、私は小選挙区制の導入に対して「おかしいではないか」と言って反対運動に手を挙げました。つまり、「小選挙区制移行は政治改革ではない、単なる外国の選挙制度だ、いいこともあるが日本にとって悪いことがたくさんある」と思うのです。これまでの明治以降の議会政治を見れば、小選挙区制にしてダメだったわけです。それゆえ中選挙区制にしたわけで、それは日本人の知恵が編み出した日本独特の素晴らしい選挙制度でした。それなのに、「小選挙区制に戻るとは、またバカなことを繰り返すのか」という思いで反対したのです。
しかし、これも風が吹いたという程度で、私は敗れたのです。今になってようやく小選挙区制度の弊害が言われるようになってきました。しかし、どんなことでも風が吹けば、東京というところは危ないということなのです。
私は今回の選挙での自分の結果は、ある程度風に負ける可能性もあると思っていました。しかし、残念だったのは、日本中で実にばかげた風が吹いて、多くの有為な人材が落選したことです。ご支持いただいた皆様方には申し訳ないのですが、私一人が落選して郵政民営化法案という一つの法案を阻止できれば、という思いがありました。私一人と引き換えにこの法案を阻止できれば、それはそれで「日本のために小林は働いた」と評価してもらえるわけです。ですから、皆様方にも結果はどうであれお許しいただけるだろうという覚悟を決めて、あの選挙戦に臨んできたのです。
テレビのコメンテーターのなかには、「覚悟もなしに反対していたのか」と、権力側に提灯を持つような言い方をしている人たちがいます。政治家は誰でも選挙によって選ばれねばならない宿命があります。どちらについているほうが有利か、そんなことがわからないバカはいません。
わかっていても、そんな法案が通ったら日本はどうなるのか、そう思うとき、選挙の当落を超えて立ち上がる政治家なしに、この国が持つのでしょうか。
先の選挙の最後の演説会場には、大勢の方に池袋に集まっていただきました。そこで私は、「選挙の勝敗はわからない。しかし、小林興起は、現在評価されるよりも、歴史が評価する政治家になりたい。風に負けずに信念を貫く政治家であり続けたい」と申し上げました。
一方で日本は、外交的にも大変な局面を迎えています。それなのに、日本は外交に真剣に打ち込んでいるとはとても思えません。外務省はバラバラです。政治家がバラバラだから、役所もバラバラになってしまうのです。
国連の常任理事国入りに関しても、どこの国が賛成してくれたでしょうか。アメリカも賛成しませんし、アジアの国々もまた然りです。どんなに経済協力をしても、国連に莫大なお金を注ぎ込んでも、どの国も賛成してくれなかったのです。日本はいざというときにどこの国にも頼りにされていないのです。
イラク派兵も、イラクのためになっていると日本は言っていますが、自分の意志で行ったのではありません。アメリカに言われて、仕方なしに行ったわけです。アメリカに言われれば、どんなことでもする。逆にアメリカに反対されれば何もしない。こんな国を世界の国が頼りにするわけはありません。アメリカを頼りに、日本はその後をついて行くのです。アメリカのことはいろいろな国が気にしていますが、日本のことなんか気にする必要がないというわけです。これが日本の今の外交の姿です。
内政も中身がメチャクチャです。今度、政府系金融機関の八つが一つになるということが発表されました。何故、全く違うものが一緒になると幸せになるのでしょうか。それなら、最初から一つつくっていればいいということです。八つもあるものをたった一つにできるほど無駄に機関をつくったのでしょうか。いくら日本でも、そんなバカな国家ではないでしょう。各機関のこことここが基本的には違うなどときちんと整理して、必要な機能を残して統合する。その結果として、機関が二つ、あるいは三つか四つが残ったら、それは結果論ですが、そのように考えるのが政策なのではないでしょうか。
昨年、この金融機関の統合問題が出たとき、私は自民党にいて「そんなデタラメな話はだめだ、もっと議論が必要である」と発言し、多くの議員に賛同をもらい、結論を先送りすることができました。もっと中身を検討して、「これはもういらなくなった、じゃあやめましょう、いやこれはもっと拡充して残すべきではないか、だったら強化しましょう」――このように議論して、まず政策から入っていかなければならないのです。
しかし、現在では、総理が一個にしようと言ったら、自民党では誰もそれに反論する人がいないのです。私たちは多くが金融機関を利用しています。利用している人にとっては大変な問題です。いま利用している機関がなくなってしまうかどうか、という問題なのです。それなのに、利用者の声なんか、まったく聞きません。必要かどうか、利用している人の声を聞くのは当たり前のことではないでしょうか。金融機関は使っている人のためにあるのですから。
政策能力がことごとく衰えて、日本はローマ帝国の末期と同じ状態です。ローマの末期、皇帝が何とかローマを維持していたとき、皇帝は「国民にはパンとサーカスを与えておけばいい」と言いました。つまり、国民はお腹が空けば暴動を起こすから飯だけは確保する、しかし飯だけだと「政治はどうだ、こうだ」とくだらない議論に入るから、政治論をさせないためにサーカスを見せておけばいい、というわけです。
今度の衆議院選挙に刺客を与えて面白いことをやっておけば、郵政民営化政策の本質論は誰もしゃべらなくなる。「誰と誰が戦っているか、ライオンとトラがやっているのか、面白いな」
このようにサーカス(見せ物)を国民に与えておけば、政治の本質論は全然議論しなくなるのです。あれだけもめた法案の中身については、何も語られないのです。この法案が何を意味するのか、なぜわれわれが命をかけて郵政民営化に反対しなければならないのか――、テレビに何回出ても、これらを聞く人もいないのです。「刺客として送り込まれて来た人を、どう思いますか」そんな人物論だけを聞いて、本質論には立ち入らないのです。これではローマ時代のサーカスと同じレベルで、全然政治ではありません。
無茶苦茶な選挙が行なわれ、一体誰が喜んでいるのでしょうか。
中国も、日本がバカになっていると大喜びでしょう。アメリカだって日本が情けない国になっていれば、後は日本の金を利用するだけです。バカな政府のバブルの後処理のおかげで、外資がこれまで多くの土地を手にしました。そして今、それをどんどん売って儲けています。そのお金で、今度は株を買っています。
フジテレビやTBSなどのテレビ局は、自分が買収されそうなのに、郵政民営化について「金融をさらにアメリカに渡して大丈夫なのか」という議論を誰もしません。これがテレビ局の実態です。自分が死にそうなのに、金融がアメリカの手に渡ればどんなことが起こるかという民営化の大問題について議論をする局がなかったのです。
やっと最近『文芸春秋』で関岡英之さんが「奪われる日本」という論文を書きました。しかし雑誌は、大新聞やテレビに比べて読む人は少ないわけです。大新聞やテレビが全く事の本質を報道しようとする姿勢すらないほど、日本はアメリカの属国であり植民地になってしまっています。
植民地、属国とは、「自らの頭で考えない」ということです。では誰が考えてくれるのか。それは親分の国アメリカに行って聞いてくればいいということです。10年にわたって毎年アメリカから「年次改革要望書」が突きつけられています。だから政治家も役人も、結論を考える必要がないのです。「はあ、今年はこういう考えですか、実行するように努力いたします。これはちょっと抵抗がありますので、検討いたしましょう」と言うだけです。アメリカの決めた結論が先ずあって、日本はそれに向けていかにやっていくかだけを考えるのです。これがここ数年の、日本の経済政策の実態です。
だから突然「会社法の改正」が出てくるのです。会社法の改正をして日本の会社がアメリカの会社に買い取られやすいようになってしまったことを誰が考えたのか、役人は答えることができません。しかし、「年次改革要望書」を見ると、アメリカの指示が明確に書いてあります。このように、この国の政策はアメリカが考えるのです。
しかし、日本はアメリカの植民地といっても、アメリカの州ではありません。合衆国の州に入っていれば、アメリカは日本のことも考えなければならないし、考えた政策も出てくるでしょう。けれど、植民地です。昔から植民地は収奪されるだけの対象です。アメリカは自分が儲かるから日本に対する方針を立てるのです。日本国民は奴隷のようなもので、「今はしっかり頑張れよ、殺さないようにしてパンだけは与えるから、せっせと貢ぎなさい」ということです。かくして日本は次々と富が失われ、経済がいつまでたっても成長しないのです。
全体の所得は増えないけれど、一部のところだけは儲かる人たちが出てくる。そんな儲かる人たちがいるのに、では、何で経済全体が成長しないのでしょうか。それはほとんどの人が貧しく据え置かれているからです。池袋あたりでは売上げが上がっている商店街はほとんどない。中小企業の中では売上げが上がって少しはいいところもあるかもしれませんが、昔からある会社はほとんど売上げも上がりません。これが日本の実態です。
しかし、「それでいいじゃないか」と無気力になってしまって、国民は選挙に投票してしまっています。これがやがて大増税、そして社会保障の厳しさにつながるのです。これまで日本はお年寄りにとっても、良い国でした。これからはどうなってしまうのでしょう。お年寄りにとってはつらい国、若い人にとって希望のない国になることは目に見えています。でも「それがいい、それが改革だ」と言ってついていくのが日本の姿です。
私はこういった退廃的ともいえる風潮を2,3年前からつくづく感じています。
政権に入って総理にゴマをすっているのもいいけれど、やはりそんなもののために政治家になろうと決意したわけではありません。原点に立ち返るならば、もう一度日本全体に「新しい日本をつくる」という運動を起こすことこそが、私に課せられた政治家としての使命だと実感したのです。したがって、これからも選挙で東京10区に立ちます。日本の全国民の皆さんに向かって「こんな日本でいいのか」、若い人たちに向かって「こんな日本で将来満足できるのか」、そういう声を発していく運動を本格的にやっていきたい。
それが私に残されたこれからの政治家としての人生、使命だと思っています。
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